東京地方裁判所 昭和42年(ワ)2878号 判決 1969年3月05日
原告 遠藤馨
被告 東京都板橋区
右代表者区長 加部明三郎
右指定代理人東京都事務吏員 森谷宏
<ほか三名>
主文
原告の各請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
(原告)
一、被告は、原告に対し金五、〇七〇円を支払え。
二、被告は、原告に対し、被告発行の板橋区報に原告に謝罪する文を掲載し、原告の名誉を回復する処置をしなければならない。
三、訴訟費用は被告の負担とする。
(被告)
主文第一、二項と同旨
第二、請求原因
一、原告は、昭和四〇年九月六日より「東京都板橋区桜川二丁目一三番一七号強瀬方(以下単に旧住所という)」に生活の本拠を有していたので、昭和四一年三月七日、被告の総務部税務課に昭和四一年度特別区民税、都民税にかかる申告書を提出した。
その後、原告は、板橋区外へ転出することとなり、昭和四一年四月三〇日、被告の第七出張所へ「文京区雑司ヶ谷一二〇番地(以下単に新住所という)」を転出先とする転出申立書および異動申告書を被告の区長へ宛て提出して、同日、右新住所へ転出した。
二、被告の区長は(後に判明したことであるが)、昭和四一年六月一五日、原告の右新住所に宛て、昭和四一年度の特別区民税、都民税についての納税通知書を送付したが、右通知書は、同年六月二五日頃被告へ返戻された。さらに、被告の区長は、同年九月一七日原告に対し公示送達を以て右納税通知書の送達をなした。
三、右の経緯により、原告は、右納税通知書を受けとることができなかったため、同年六月一七日から翌七月一五日までの間に、本件地方税を納付する機会を失い、これにより被告が納税者に対し約束した金七〇円の報奨金を取得する権利を喪失した。しかし、これは、後記のとおり、被告の転出手続担当の係員が、原告に対し誤った教示をなし、かつその後になされた右納税通知書の原告に対する公示送達が違法であったことに基づくものである。
四、すなわち、原告は、前記のとおり、旧住所から新住所へ転出するため、被告の第七出張所に赴き、転出申立書および異動申告書に所定事項を記載するに際し、転出(居)先住所については「方書き」が必要記載事項であるか否かを被告の係員である訴外門井秀夫に質問したところ、同人は、方書きの記載は必要でない旨返答したので、原告は他の所定事項は記載したが、住所欄には方書きを記載しないまま右各書類を提出し、受理された。
ところで、前記のとおり、本件納税通知書は、原告の新住所に送達されなかったけれども、被告の区長において、些少の注意を以て調査(たとえば、旧住所の強瀬若しくは、板橋郵便局に照会することなど)をすれば、原告の新住所に「東京教育大学雑司ヵ谷分校学寮内」の方書きの必要であることが容易に判明し、再度、右方書きのついた新住所に納税通知書の送達が可能となった筈のものである。
しかるに、被告の区長は、右のような些少の調査すら怠り、慢然と原告の住所・居所が明らかでないとして、本件公示送達をなし、原告をして前記の期間内における本件地方税の納付を不能にし、よって、原告の被告に対する金七〇円の前記報奨金請求権を喪失させたものである。
五、さらに、被告の区長は、前記公示送達をなすことにより、公衆の面前に原告に対する地方税の督促通知を掲示し、かつ、被告の帳簿に督促状発送済みの記載をするなど原告の名誉を毀損したのみならず、同年一一月二四日、原告が偶々本件公示送達の事実を聞知し、その不当な措置に対し抗議し、善処を求めたにもかかわらず、被告の係員らはこれに対し全然誠意を示さず、これを無視する態度に出たものである。
よって、原告は、被告に対し、右不法行為に基づく慰藉料として金五、〇〇〇円ならびに、原告の名誉を回復するため、被告が、同人発行の板橋区報に原告に右不法行為を謝罪する文を掲載することを求める。
六、なお、被告は、原告が地方税法所定の納税管理人を設定しなかったことを理由として、被告において原告の住所関係の調査にはなんらの瑕疵もなかったと主張するが、納税管理人の制度は、納税義務者の便宜のためにあるもので、たとえ、原告が、納税管理人を設けなくとも、被告の区長が公示送達をなし得るわけのものではない。むしろ、被告の区長には、かような場合には地方税法第一三条の二第一項第四号によっていわゆる繰上徴収が認められているのである。
七、よって、原告は、被告に対し、本件不法行為に基づく損害金七〇円および慰藉料金五、〇〇〇円、計金五、〇七〇円の支払、ならびに、被告が、板橋区報に原告に謝罪する文を掲載し、原告の名誉を回復する処置を為すことを求めるため、本訴請求におよんだ。
第三、被告の答弁ならびに主張
(請求原因に対する答弁)
一、第一、二項は認める。
二、第三項のうち、原告が、昭和四一年六月一七日から七月一五日までの間に本件地方税の納付をしなかったことおよび報奨金七〇円を取得する権利を失ったことは認めるが、その余の点は否認する。
三、第四項のうち、原告が被告の第七出張所において転出申立書および異動申告書を提出して、被告の区長がこれを受理したこと、被告の区長が原告に対し、本件地方税の納付通知につきこれを公示送達でなしたことは認めるが、その余の事実は否認する。
四、第五項のうち、被告の区長が、公示送達をしたこと、被告の帳簿に督促状発送済みの記載をしたことは認めるが、その余の点は否認する。
(被告の主張)
一、いわゆる「方書き」についての教示の有無について
(一) 原告は板橋区内の住所から文京区内の住所に転出する際、被告の区長へ提出した「転出(居)の申立」及び「異動申告書」の転出先住所欄に「方書き」を記入しなかったのは、被告の第七出張所の担当職員の教示によるものであると主張する。しかしながら、住民登録の事務に従事する職員が、事務処理上かかる教示をするはずもないし、また現実にかかる教示を原告に対してなした事実もない。
(二) 原告は、被告の第七出張所職員の誤った教示により転出先住所の「方書き」を記入しなかったところ、原告あて納税通知書が返戻され、さらに公示送達に付されることとなり、それにより損害をこおむったと主張している。
しかしながら、かりに、かかる誤った教示が原告に対して現実になされたとしても、誤った教示と公示送達との間にはいわゆる相当因果関係がなく、従って右教示と公示送達によって生じたと主張する原告の損害(かりにあるとしても)との間にもいわゆる相当因果関係が存在しないことは明白であり、被告は原告に対してなんら損害を賠償する責任がない。
二、本件公示送達のなされた経緯について
(一) 被告の税務課においては、昭和四一年度特別区民税、都民税の課税にあたり、申告書提出者の住所の異動状況を把握するため、昭和四一年五月一六日より二一日までの間において、住民の異動申告書等の異動関係帳票を管理する被告の総務部所管にかかる出張所(板橋区の区域を一五のブロックにわけ、当該ブロックをそれぞれに所管する機関)の管轄区域ごとに実地調査を行ない、転出証明書交付台帳等により住所の変更を確認のうえ昭和四一年六月一五日、納税通知書を発付したものである。
原告の住所異動については右調査において転出証明書交付台帳により原告が昭和四一年四月三〇日板橋区外へ転出し、その転出先が「文京区雑司ヶ谷一二〇番地」であることを確認のうえ納税通知書を発付したものである。
(二) ところで、原告あての右納税通知書は、「あて所に尋ねあたらず」との理由により昭和四一年六月二五日頃返戻された。
そこで、被告の税務課においては、昭和四一年六月下旬から七月中旬までの間、再度返戻にかかるものの住所関係について右出張所の管轄区域ごとに調査したが、原告の転出先は当初の調査結果と同様「文京区雑司ヶ谷一二〇番地」であることを確認した。すなわち、右第七出張所の保管にかかる訴外文京区長が住民登録法第六条に基づいてなした転入通知書により原告が昭和四一年四月三〇日板橋区より「文京区雑司ヶ谷一二〇番地」に転入したこと、および右通知書に基づき同年五月二四日板橋区内住所について住民票の消除がなされていたことが判明したものである。
(三) 因に、納税通知書等の書類が、住所・居所・転出先不明等の理由で返戻された場合には、被告の区長等の税務行政庁は、当該地方公共団体の区域内に住所を有する納税義務者の当該区域内の異動については格別、他の地方公共団体の区域に転出した納税義務者の住所等の調査については、当該転出先地方公共団体との間における住民登録上の措置によるべきであって、その範囲をこえて当該転出先地方公共団体の区域内の当該納税義務者の現実の住所・居所を探索すべき義務を負うものとは解されない。
(四) 他方、地方税法第三〇〇条(特別区の存する区域については同法第七三四条以下参照)により市町村民税の納税義務者は、納税義務を負う市町村内に住所・居所等を有しない場合には、納税に関する一切の事項を処理させるため、当該市町村の条例で定める地域内に居住する者のうちから、納税管理人を定め、これを市町村長に申告する義務を負わされており、納税義務者の右申告と税務行政庁側の調査とによって、納税通知書等の納税義務者への送達を確保しようとしているものである。
しかるに、原告は、同法第三〇〇条および、東京都板橋区特別区税条例第一一条に基づく納税管理人の設定もせず、その他、被告の税務課に対する住所変更についてのなんらかの事実上の通知・連絡もなさなかったものである。
(五) 以上の経緯により、被告の区長が、原告の転出の際の申告によっても、また、原告の転入先の文京区の区長のなした転入通知書によっても、結局、原告の住所・居所が明らかでないので本件公示送達をなしたことは当然であり、右公示送達には何らの瑕疵もないから、被告が、原告に対し本件公示送達に基づくいかなる損害も賠償すべきいわれはないものというべきである。
よって、原告の本訴請求は理由がなく、棄却されなければならない。
第四、証拠≪省略≫
理由
(転出先のいわゆる「方書き」についての教示の有無について)
一、原告が、昭和四一年四月三〇日板橋区から転出する際、被告の区長に提出した転出申立書の転出先住所欄に「文京区雑司ヶ谷一二〇番地」と記載し、方書きを附記しなかったこと、および、被告の区長が、同年六月一五日、原告の右転出先に宛て昭和四一年度分の特別区民税、都民税についての納税通知書を送付したところ、同月二五日右通知書が被告区長のもとに返戻されたことは当事間に争いがない。
二、原告は、転出申立書の転出先住所欄に方書き、すなわち「東京教育大学雑司ヶ谷分校学寮内」を附記しなかったのは、右申立書を提出する際、被告の担当係員が、方書きの記載は不必要である旨教示したからであると主張するのであるが、本件に顕われた全証拠を検討するも原告の右主張を認めるに足りないし、また、原告本人尋問の結果によるも右主張事実を認めるに足りない。
そうすると、右納税通知書が、原告の転出先である新住所へ送達されなかったのは、原告の転出先の記載が不十分なために生じたというべきであって、被告の係員が原告に「方書き」の記載は不必要であるとの誤った教示に基づくとの原告の主張は理由がない。
(本件公示送達のなされた経緯について)
一、原告は、被告の区長が本件公示送達を為すについて、原告の住所・居所が明らかでないと認定するうえで過失があると主張するので以下検討する。
地方団体の長は、地方団体の徴収金の賦課徴収又は還付に関する書類について、その送達を受けるべき者の住所、居所が明らかでない場合にはその送達に代えて公示送達をすることとができる(地方税法第二〇条の二)。これは、前記の書類を送達すべき場所が不明のため、書類を送達することができないときは、徴収金の賦課徴収又は還付についての手続の進行が不能になり、地方団体の徴収金の確保および納税者の権利の保護を全うしえないから公示送達という特別の送達手段を認めたものである。
しかしながら、公示送達の送達方法(同法二〇条の二第二項、第三項)は、送達に関する一種の擬制であり、送達名宛人がこれを了知することは殆ど不可能に近いから、調査をすれば、住所又は居所が判明すべきであったにもかかわらず、単に一回限りの郵便送達による書類が、あて先人不明で戻されてきたことのみを理由として直ちに受送達者の住所又は居所が明らかでない場合と認めて、公示送達をするときは、相手方は不測の損害を蒙むるおそれがある。従って、地方団体の長が故意又は過失によって、所要の調査もせずに書類の受送達者の住所が明らかでないと判断して、書類を公示送達にした場合には、右送達によって生じた損害について地方団体の長が名宛人に対しこれを賠償しなければならないことはいうまでもないところである。而して、右にいわゆる所要の調査とは、いかなる範囲・程度のものをいうかについては、直接法の明示するところではないけれども、当該地方団体が管掌する受送達者の住民票関係の書面調査、租税賦課関係帳簿書類の調査、実地調査をなす等、当該事情に応じて具体的にその必要性を判断すべきものと解するを相当とする。
二、よって、本件についてこの点を考えるに、≪証拠省略≫によると、被告の税務担当係員は、昭和四一年六月二五日本件地方税の納税通知書が「あて所に尋ねあたらず」との理由により被告区長のもとに返戻されたのち、同年七月中旬行われた管内の住民の住所関係の定期実態調査の際に、再度、原告の住所について書面調査(すなわち、住民票および転出先である文京区長よりの転入通知書等について)をしたところ、原告が同年四月三〇日板橋区内より「文京区雑司ヶ谷一二〇番地」(すなわち、前記納税通知書を郵便送達した宛先と同様)に転出したとの点以外に新たな事実関係を把握することができなかったので、結局、原告の住所が明らかでないと認めたものと推認することができる。
ところで、≪証拠省略≫によると、原告は、同年四月三〇日文京区内に転入するに際し、転入先の住所を「文京区雑司ヶ谷一二〇番地教育大学内」と届出で、文京区長が作成した住民票においても原告の住所には「教育大学雑司ヶ谷分校」なる「方書き」が付記されていることが認められる。そうとすると、被告の区長において、再度原告の住所を調査する際、文京区長から右住民票の謄本を取寄せるならば、直ちに、原告の転出先に右方書きが附記されていることを確認し得たのではないかと考えられ、この点において、被告の原告の住所についての調査が十分でなかったとの謗りを免れないとの評価も成立ち得るといえよう。
しかしながら、前記のように、被告の区長が、原告の転入先である文京区の区長から送付をうけた転入通知書によって、原告の板橋区からの転出先の住所には前記の「方書き」の記載がないものと判断したことは、文京区長が同区への転入を公証する唯一の公的機関であり、かつ、右転入通知書は同区長がこれを公証している点からみてやむを得ないというべきであって、従って、被告の区長があらためて文京区長から原告の住民票の謄本を取寄せなかったとしても、被告区長を非難すべき事由とはなし難い。のみならず、前掲証拠および原告本人尋問の結果によると、そもそも、右転入通知書にある原告の転入先住所欄の住所は、原告がこれを記載し(すなわち「方書き」を落した住所)、文京区長がこれに対し公証したものであることが認められるから、被告区長が原告の新住所に原告の主張するような方書きがないと判断したことには原告にも責任があるというべきである。
従って、被告区長が、これ以上に、原告の住所について調査をしなかったとしても、被告の区長に責むべき点があるということはできないというべきであるから、被告区長のなした本件公示送達には違法はないものと解すべきである。
(むすび)
従って、以上の諸事情を検討すると、被告の区長が原告に対してなした本件納税通知書の郵便による送達はもとより、公示送達についても、何ら違法の点はなく、これと異る前提のもとになされた原告の被告に対する損害賠償ならびに、謝罪広告等の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 緒方節郎 裁判官 小木曽競 山下薫)